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フーゴ・アルヴァ・ヘンリク・アールト(Hugo Alvar Henrik Aalto, 1898年2月3日−1976年5月11日)は、フィンランドを代表する建築家、デザイナー。パリやニューヨークの博覧会に作品を出展し世界的な名声を得る。その後、1945年から49年までマサチューセッツ工科大学、1963年から68年までAcademy of Finland で教鞭をとる。
彼はスカンジナビアのモダニスト・デザイナーであり、モダニズムに対する人間的なアプローチで知られた。
スウェーデンのグンナール・アスプルンドと並んで、スカンジナビアの近代建築家としてもっとも影響力があった一人であり、CIAM en:Congres Internationaux d'Architecture Moderneのメンバーでもあった。
アールトの活動は、家具やガラス食器のデザインから、建築や絵画までと多岐に渡る。 主な作品には、ヘルシンキのフィンランディア・ホール、ヘルシンキ工科大学のキャンパスなどがある。アールトのガラス器には、1937年のパリ博覧会に出品して世界的に有名になった アールトの花瓶(en:Aalto Vase)もある。
アールトがデザインした家具は彼が共同設立者となったアルテック社(en:Artek)が製作・販売している。 アールトと、その妻アイノがデザインしたガラス食器はイッタラ社(en:iittala)が製作している。
ドイツ軍により破壊されたサンタクロースの町、ロヴァニエミ(Rovaniemi)の復興には都市計画段階から携わり、また多目的ホール、図書館、市庁舎、教会、住宅の設計も手がけた。
1898年 フィンランドクオルタネに生まれる。
1916年-1921年 ヘルシンキ工科大学で建築を学ぶ。
1923年 少年時代を過ごしたユヴァスキュラで、建築事務所を開設。
1924年 建築家アイノ・マルシオと結婚。ハネムーンに出かけたイタリアで地中海文化に触れ、生涯にわたる影響を受ける。
1927年 トゥルクに設計事務所を移す。
1933年 ヘルシンキに設計事務所を移す。
1935年 家具会社アルテックを共同設立。
1943年-1958年 フィンランド建築家協会会長。
1946年-1948年 マサチューセッツ工科大学客員教授。
1949年 妻アイノ死去。
1952年 建築家エリッサ・マキニエミと再婚。
1963年-1968年 フィンランド・アカデミー会長。
1976年 ヘルシンキにて没。
1921-23年 ベルタワー、Kauhajarvi、フィンランド
1924-28年 アラヤルヴィの病院、アラヤルヴィ、フィンランド
1927-35年 ヴィボルクの図書館、ヴィボルク(ヴィープリ)、ロシア
1927-29年 ユヴァスキュラの自衛団ビル、ユヴァスキュラ、フィンランド
1928-30年 トゥルン・サノマト新聞社、トゥルク、フィンランド
1928-33年 パイミオのサナトリウム、パイミオ、フィンランド
1930-31年 ザグレブ中央大学病院、ザグレブ、クロアチア
1937年 アアルト自邸、ムンキニエミ、フィンランド
1937-38年 マイレア邸、ノールマック、フィンランド
1939年 ニューヨーク国際博覧会のフィンランド・パヴィリオン
1947-49年 マサチューセッツ工科大学寄宿舎、ベーカーハウス、 ケンブリッジ
1949-66年 ヘルシンキ工科大学、エスポー、フィンランド
1950-52年 セイナッツァロの村役場、セイナッツァロ、フィンランド
1953年 夏の家(コエ・タロ)、ムーラツッアロ、フィンランド
1955-58年 文化の家(クルトゥーリ・タロ)、ヘルシンキ、フィンランド
1956年 アアルトのアトリエ、ヘルシンキ、フィンランド
1956-58年 ヴオクセンニスカの教会
1956-58年 カレ邸、バゾッシュ、フランス
1958-60年 セイナヨキの教会、フィンランド
1958-72年 ノースユトランド美術館、オールボー、デンマーク
1958-87年 セイナヨキのタウンホール、フィンランド
1959-62年 ウォルフスブルクの教区センター、ドイツ
1962-71年 フィンランディアホール、ヘルシンキ、フィンランド
1963-65年 ヴェストマンランド・ダラ学生会館、ウプサラ、スウェーデン
1965-68年 ロヴァニエミの図書館、ロヴァニエミ、フィンランド
1970年 マウント・エンジェル・ベネディクティン・カレッジの図書館、サレム、オレゴン州
1971-73年 アルヴァ・アアルト美術館、ユヴァスキュラ、フィンランド
1982年 ユヴァスキュラのタウン・シアター、ユヴァスキュラ、フィンランド
1959-88年 エッセンのオペラハウス、ドイツ
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